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一月末のサッカーアジアカップ決勝戦が始まる少し前、午後8時
頃に隣接する伊勢崎市の焼き鳥屋さんに到着すると そこには
すでに1時間ほど前から飲んでいる 幼馴染みら7名が談笑して
いた。。中には40数年ぶりの人も居て 一瞬顔が分らずだったが
すぐに思い出し話し始める。 数年前に小学校の同窓会に出て
あまりにも誰だか分らない現実を経験し 去年の中学同窓会は
仕事も絡んで欠席したのです。 でも、今回の集まりは8名のうち
半数の4人は町内が同じ幼馴染みであり、、僕も含めた3人は
群馬県では誰でも知っている「上毛カルタ」県大会優勝メンバー
でもあったりする。 改めて顔を見ると みんな おっさんやおばさん
なのだが 暫く話をしていると子供の頃の感覚に近づいていける。
数年前の同窓会とは違う感覚である。。 その中の一人の頭が
頭の脇と後ろには毛があるが顔の正面からてっぺんまで毛が無い
ハンチング帽子を被っていると分らないのだが 帽子を取った瞬間
あら、、、となるのは当然、、普通なら その辺の話には触れずに
時間が経過するのでしょうが、、幼馴染みは違う。。 全てに対し
直球の話題である。。「その頭さぁ、、わずかな残りに固守せずに
全部剃ってスキンヘッドにしろよ、、但し、スリムのジーンズに上は
短めのジャンパーで マフラーはおしゃれに結んで、だろ?みんな」
みんなで そうそう!それが良い。。こんな調子である。 不思議
なのは中学生の頃は 全く話もした事無かった人だって居るのに
親父になった今は 子供の頃に戻って何の違和感も無く話せる
、、、これが幼馴染みなんだろうな、、、って思った。 サラリーマン
だって居るし 自営も居るし 会社を経営している人も居て様々
だけど この時間は世間的な地位など全く関係ないのが良い。。
僕は酒が飲めないけど 同じようなのが3人も居て 素面なのに
飲んでる人との違いが無い、、酒が入っていようが 素面だろうが
言いたい事が言えるし それを笑えるのが、、幼馴染みなんだと
初めて知った。 酒を飲まない僕は 酔っぱらいというか、、酔った
人の愚痴や戯言を聞くのが 好きではないので 酒の席は苦手
だと思い込んでいたが、、どうも相手にもよるらしい。。 そうそう、、
僕は洋服の袖をまくっている事が多いのですが 学生時代から、、
学生服もまくっていたようで 学生の頃と一緒じゃんと みんなに
言われたが、、よくもまぁ、そんな事まで覚えているもんだと思う。
二次会の店から出て 最後は上毛カルタ優勝メンバーの一人の
事務所でコーヒーを飲みながら サッカー観戦、、優勝の瞬間も
しっかり見て解散、一人を送っていく途中、仕事の話やこれから
先の話などもしたが、仕事に対する意欲も充分あるが、同時に
老後の心配もし始める。。 過渡期というか、、狭間というか、、、
50代半ばとは そんな年代のようだと知った夜でした。・・・つづく
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翌日の葬儀は、、火葬の予約時間が午後1時30分の事もあり
午前11時30分からと、、少し中途半端な時間帯なのですが、
流れの都合で仕方ありません。 葬儀、、初七日法要と順調に
進み導師は一旦帰って、、斎場にて釜前経を唱える事になって
います。 当初1時間程度を予定したのですが一旦寺に戻った
のが午後12時15分、、、予定より15分ほど余裕があります。
そこで、棺を部屋の真中に移動し 施主花1対とスタンド生花
1基の花を摘み、、棺に生花や手紙など持たせてあげたい物を
入れる「お別れの儀」です。 お父さんの棺は顔の部分を除いて
お花でいっぱいになりました。 歩くのが少し大変な実母と義母の
二人は椅子に座って お父さんの顔の横に座ってもらいました。。
すると、、二人でお父さんに話し掛け、、二人で話をしています。
通常は数分で棺のフタを閉めるのですが、時間の余裕もあるので
暫くそのままにしていると、、ずっと堪えてきたのでしょう。 妻である
お母さんが棺にすがりつくように泣きだしたのです。 一瞬どうしよう
かと思いましたが 今、思いきって泣いたほうが 後で一人になって
から泣くよりずっと良いと思い、、そのまま暫く待ち、、結局出棺の
時間直前までの30分間が お別れの時間となったのです。
皆さんの手を借りて 棺のフタをした時、、僕のくちから出たのは
「では、みんなでお父さんの棺を囲んで写真を撮りましょう」でした
あんしんサポートでは、葬儀期間ずっと 様々な場面の写真を
撮っているので カメラは千明が持っているのです。 この時僕が
瞬時に考えたのはこんな事でした。【今撮る写真の家族はきっと
悲しみに溢れた顔で写っているはず、でも、もしこの葬儀に満足
とはいかなくても納得の葬儀が出来たら、葬儀後の写真は家族
みんなの顔が、表情が違っているはず、、その違いを僕らの言葉
ではなく、自分の目で確かめて貰いたい】と思ったからなのです。
正直、2枚の写真に違いが出るか分りませんし 事前に言えば
意識をするので自然な写真ではなくなります。 顔が出てないと
分らないので掲載は出来ませんが 予想した通りの違いでした。
棺にすがって泣いたお母さんも 家に戻った時にはやり遂げた顔
悲しい中にも 何処か満足感のある顔になっていました。
出棺から火葬、お清め、拾骨と何事も無く順調に進行した中で
一番気を使ったのは、、歩くのが少し大変な二人のお婆ちゃんが
使用する車椅子の確保を斎場ですることでした。 全部で3台の
うち2台を使えるかどうか、、幸いにも火葬場の一台だけでなく
式場設置の一台もお借りできたので 二人のお婆ちゃんを心配
する場面が減るのは確かですし 葬儀の最中に怪我でもしたら
色んな意味で大変ですからね。 あ~ッ、、これは余談ですけど
忙しく動き回っていた千明が、荷物を運ぶ台車をガラガラと音が
響くほど急いで押していたら「静かに!!」と注意され さらには
走り回っていたら「走らないで!!」と2度注意されたと葬儀後に
本人が話していました。 聞いた僕でも、、そりゃそうだって思う。
今回の葬儀は紙面には書けない 「対家族」の色々があったの
ですが 家族が事前に僕らに全てを話しておいてくれたので対応
出来た部分が多々あったはずです。 葬儀屋さんや、担当者に
よっては違うでしょうが 基本は葬儀屋は家族の為に葬儀を行う
のであって、、宗教者や親戚、知人友人の為ではないはずです。
だから、自分や家族だけで悩まずに 相談してみると良いですよ
きっと、、思っている以上に ちからになってくれるはずです。 但し
言うまでもありませんが、、「人を見て」ですけどね。・・・つづく
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翌日の午後3時から、、湯かん、納棺の儀です。 予定時刻の
10分ほど前から準備を始めます。 準備が整い皆さんが集まって
いるのを確認すると開式です。 始めに全員で合掌している間に
十三仏を唱えるのが仏式湯かんでの あんしんサポート流です。
これを始めたきっかけは、、菩提寺によっては葬儀後に十三仏の
掛け軸を貸与しますが、、理由も分らず掛けている家が普通で
菩提寺住職からの説明も無かった為で 改めて葬儀の流れを
見ていても、十三仏の説明をされる菩提寺はありませんでした。
簡単に言うと、亡くなって49日間は仏の仲間入りは出来ずに、
7日毎に裁かれ、、最終的に極楽行きか地獄行きが決まるの
ですが、、7日毎に裁き、導き、守ってくれるのが十三仏であって
仮に極楽に行けても「百箇日」「一周忌」「三回忌」「七回忌」
「十三回忌」「そして永代供養の「三十三回忌」までは教えを
請い、修行をするのだそうです。 これに初七日、、二七日、、
三七日(みなのか)・四・五・六・七七日(しちなのか)まで全て
数えての十三仏だそうです。。と話をすると十三仏の話と同時に
永代供養とは三十三回忌の事だという話もできるのです。
三十三回忌 = 永代供養ですから、お墓のカロート内にある
骨壷で三十三回忌以上の焼骨は土に返すという話も出来るし
だから、、カロートの中に骨壷が入らないほど溜まってしまう事は
殆どありません。。といった話も同時に出来て便利です。 これを
故人の身体を拭く 湯かんの儀の時に話します。 拭いている方
以外は暇を持て余す感覚さえある湯かんの儀も こんな話をする
ことで、、変な言い方ですが退屈せずに済むようです。 湯かんが
済むと 続いて納棺の儀に入ります。 まずは旅支度の装具を
ひとつ、、ひとつ説明し、続いて堅結びの縛り方の説明、、その後
二人一組で旅支度を整えると 六文銭を頭陀袋の中に入れる
のですが、今回の斎場は1円玉と紙幣だけが可なので1円玉を
入れて貰い、その中の数個は隠し銭として着物の裾に縛ります。
斎場から禁止されている物以外を入れると 最後に棺の布団を
皆さんの手を添えて掛けて貰い ほぼ納棺の儀も終了です。。
あんしんサポートは、最後に香水を2回ほどプッシュして貰います。
これは、守り刀が死臭に群がる魑魅魍魎(ちみもうりょう)から、、
我が身を守る為の刀だと言われているのですから ならば、あえて
現世の臭いを振り掛ける事で 魑魅魍魎らに死びと であることを
知られないような対応を、、、と考えたものです。 男性には男性
用の香水、、女性は女性用を使用しています。 家族、親戚の
手を借りて整えた旅支度での納棺が済みむと あんしんサポート
オリジナル法衣衣裳を綿で作ります。 その頃には他所での火葬を
済ませた千明も 渋川に駆けつけていたので綿衣裳作りは千明
担当となりましたが、、出来上がるまでの20分間ほどは 良くある
質問的な話をすることになります。 今回は、なぜ法衣姿を作る
のか、、、末期の水、、枕団子、、四華花(しかばな)の由来等
話をしていると 綿衣裳を作っている千明への視線も和らぐので
余計な緊張感から開放され、、結果、出来の良い法衣姿にも
なるので 一石二鳥の効果が得られちゃったりします。・・・つづく
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