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美容に携わって30年のある日 忌み嫌ってきた葬儀の仕事を始めるきっかけとなる時は突然訪れた。。
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話を先に進める前に 15才で生き別れた理由を書きますね。

僕は前橋市の隣、、伊勢崎市の魚屋さんの息子として生まれ

育ったのですが 5才まで母親の存在を知らずに育ちましたが、、

中々、平凡に生きられる人って居ないですからね。 僕の半生も

結構波乱の人生と言われます。 が、その辺は機会があった時に

でも書くとして 実家の稼業は 僕が小学校高学年になる頃は

魚屋さんからスーパーマーケットになっていました。 今は何処に

行っても当たり前のようにあるスーパーですが 当時はまだ珍しく

商売としては それなりに大きかったようです。 それを裏付ける

いくつかの出来事を話すと 小学生の時、駅にあった石柱に

チェーンの垂れ下がった柵?を飛び越えようとして見事失敗。。

鼻血を出していた僕を 駅員さんが抱えて畳の部屋に寝かせて

くれた直後、、おじいちゃんが迎えに来てくれたのです。 何処の

誰とも言っていないのですから 何処の家の子供か知っていた?

って事なのでしょう。 また、近所の商店街で買い物をするのに

お金を持って買いに行った記憶はありません。 きっと後で精算

してたんでしょう。 さらにある時は当時のマルハ大洋漁業まで

僕の通う小学校校庭から ヘリコプターでおじいちゃんと二人で

乗ったのですが、、なんだったのでしょう?? これで何となく分る

でしょうが わりと金持ちの馬鹿息子として育ったのが僕でした。

ところが、中学三年のある晩、、僕の部屋に顔を出した親父は

「どうだ、、最近元気か?」と ニコッとして言ったのが最後でした。

数日後、月末の霧雨が降りしきる夜、 12時の日付が変わった

途端、店のシャッターが開けられ、、我先に店の商品や備品を

持ち出すさまに、、「これが倒産か・・・」と思った記憶があります。

翌日にはスーツを着た人達が自宅の品物に赤い紙を貼っていく

、、、そう、、父親は倒産直前に蒸発したんですね。 倒産という

バタバタは数日でしたが その後のほうが僕には辛い時期でした。

なまじ商売が大きいせいで 道を歩いていても大人達がヒソヒソ

話をしているのが分る。。学校に行っても みんなが気を遣って

いる。。。そのほうが辛かったです。 不思議なもので 昨日まで

上着のほころびなんて全く気にならなかったのに、、今はやたらと

気になる。。けど、数日もすればいつものように戻るのが子供の

世界でした。 でも、生活は大きく変わり、残った6人の家族は

2つに分かれ、、母親と二人の姉妹は借家へ 祖父母は市営

住宅に引っ越すのですが 僕はどちらに行くのか選べと母親に

言われ、、祖父母と一緒に住むことにしたのです。 この時から

40年間行方不明のままでしたが 不思議と父親に対する怒り

のような感情は湧きませんでした。 僕の知る父親は子煩悩で

顔はジェリー藤尾さんのような感じで 派手好きな 人の良い、、

お人好しな男だったし、きっと父なりに稼業を大きくしようとした

のでしょうが、、どこかの歯車が噛み合わなかったのでしょう。

僕自身経営者となって20年の時が流れましたが、事業とは、、

頑張れば何とかなる、、、ってもんじゃ無いのが現実だからです。

これが、15才で生き別れた理由ですが、僕の人生にとっては、、

必要悪だったように思えます。 たいした男ではありませんが、、、

その結果として 今の僕が存在しているのですから 反面教師

としてですが、、父親の役割を果たしてくれたのでしょう。 そして、

人生最後の仕事に導いてくれたのも 父親がきっかけですから

やっぱ、、どこまでも親は親なんでしょうかね。・・・つづく

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今年もあと少しで終わりですが  年の瀬を迎えて過去3年間を

降りかえって 来年以降の課題探しをしてみたいと思います。

3年前の夏は、、葬儀の仕事なんて米粒ほども考えた事も無く

「俺が葬儀の仕事!?ぜってぇあり得ねぇ・・」聞かれたら きっと

こんな風に言い切ったでしょうが、、その一年後にはNPO設立、

二年後には葬儀の全てを 自分自身で行うようになっている。。

自らが目指した訳でもないのに、 何かに導かれるように突き進み

それを受け入れる自分が居るのですから、、実に不思議ですね。

来年は三年間で培ったものを開花させるべく 最初の年になって

欲しいし、そろそろ食えるようにならなきゃですよね。 その意味も

含めて三年間を振り返り、目指す道に間違いはないか、過去の

歩みで反省すべき点は反省し 改善すべき事は改善し、そして

未来目標をしっかり立てる為に振り返る、、です。  時々過去は

振り返らない、、なんて言う人もいますけど 過去があって現在は

あるのですから 縛られる必要はありませんが 良くても悪くても、

反省や修正、検討は必要ですよね。 中には前に読んだような

話も出てくるでしょうが 僕自身が 流れと現実を頭の中で整理

する為なので ちと我慢してくださいね。・・・・タイムスリップ・・・

夏の終わりを告げようとしている まだ残暑の厳しい9月のある日

一通の封筒が寝床サイドテーブルに置いてあり 仕事から帰った

僕が見たのは、差出人・八王子裁判所と記された封書だった。

中には15才で生き別れた父の死、その父が遺書を残したので

開封するにあたり 同席するようにとの内容でした。 さすがに、、

40年の時が流れ、父の死と言われても実感はありません。

翌日、妹に連絡をすると同様の封書が届いており 指定された

日時に八王子に行ってくれるとの事。。。僕は仕事があり突然、

日時を指定されても難しい状況でしたので 妹に頼みました。。

その日が来て、翌日、妹から連絡があり 行ってくれたようです。

「遺言って何なの?」「うん たいした事は書いて無かった。一応

開封するのに家族を集めたみたい」「そっか、、で、一人で生きて

たの? それとも誰か一緒?」「一緒に住んでた女性が来てた」

「だろうな、、当時は確か38才くらいだし、、まぁ 当然だよな」

「で、その人に子供は?」「良く分らないけど居ないみたい。。」

「えっ!? じゃあその人、、ひとりって事?」「うん そうみたい」

この時、僕の頭の中にあったのは 父が74才で亡くなったのなら

70過ぎの お婆さんが一人で残されたって事だと思ったのです。

子供さんでも居てくれたら良かったのに、、と思いました。 すぐに

相手の女性の連絡先を調べて電話、、、日時を確認しあって

転居先の神奈川まで会いに行ったのです。 車で3時間ほどを

走り待ち合わせの駅に着くと お婆さんを探しました。 ところが、

僕の前に現れたのは61才の女性だったのです。 ん?まてよ、、

親父より、、俺のほうが年、、近いんじゃねぇの? 思わず笑って

しまった僕を不思議そうな顔で、上から下まで良く見る女性。。。

とりあえず、まだ若いので先に心配は無用との事で一安心です。

主目的は済みましたが 折角なので車で走りながら 父の話を

色々聞いてみる事にしました。 これが、葬儀の仕事を始める

きっかけの第一歩とは 思ってもいませんでした。 ・・・つづく

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前回、霊柩車の緑ナンバー取得に必要な試験に合格した話を

書きましたが、日本一○○・・・の他に、霊柩車を購入したら、、

是非企画して欲しいと 葬儀経験者から要望されていたのが、

「低料金で搬送だけしてくれるサービス」でした。 実は昨日は、

その提案のきっかけとなった葬家に行く機会があったので 現在

企画している内容や料金設定を 訪問ついでに聞いてもらった

のです。  それは今年の夏、入院していた母親が亡くなったとき

病院側は早めに遺体を運んで欲しいような素振りだったらしいの

ですが 亡くなるまで何も考えていなかったんだそうです。 そこで

最近葬儀をした会社の上司に相談したところ、父親のご葬儀を

あんしんサポートでされた方で、時々お茶を飲みにも寄ってくれる

ご夫婦が上司だった為 当方への連絡となったようです。 その時

ご主人からは「搬送だけの依頼でも良いですか?」との事でした。

連絡をくれたご本人も病院まで来てくれ 結果的には当社での

葬儀施行となったのですが、この葬儀のあとでご主人に言われた

のが「低料金での搬送だけサービス」という企画だったのです。

多分、何処の葬儀社でも搬送だけの有料サービスは行っている

だろうと思いますが、明確な料金がわらない。。これが問題です。

ここでいくつかの問題というか、、 疑問とでもいうか、、消費者の

方々には分り難い点があるように思えますので書いてみます。

1)搬送料金を見ると「10kmまで」「20kmまで」などの距離が

決められていますが、何処から何処までの距離か?って事です。

多分、一般の方々はタクシーと同じ乗ってから降りた所までだと

思う人のほうが多いでしょうが、、殆どの業者は違うはずです。

「寝台車車庫」→「病院」→「自宅等搬送先」までの距離です

「霊柩車車庫」→「自宅式場」→「火葬場」が霊柩l料金です。

2)搬送料だけではない。遺体の搬送には搬送用のシート又は

搬送用布団を使うのが普通で 圧倒的にシートが多いでしょう。

これは、取っ手の付いた防水シートでご遺体全体をスッポリ包み

布団に寝かせた時はシーツとして利用するので ドライアイスの

水滴なども防ぐことが出来るし、納棺時は取っ手を持って入れる

事ができる便利なシートですが 間違いなく追加になるはずです。

3)そして、料金そのものです。 遺体という特殊なものを運ぶ為

10万円と言われても、、あぁそうですか、、 5万円でも、、更に

5千円でも、、あぁそうですか、というくらい基準が不明確な料金

なのだと思います。 これらの全てを踏まえて考えてみたのですが

「料金は時間、距離問わずに一律」 「搬送+防水シーツ=

基本料金」 そして金額に関しては 葬儀経験者である理事や

他の葬儀経験者の意見を参考にして 大枠は決めました。

搬送だけのサービスを提案された ご主人の言う最大の理由は

「家族の死とは 入院などで それを予期していたにもかかわらず

後から考えると 相当パニックに陥るのが現実であり 冷静沈着

での判断は難しいのが現実、、ならば、とにかく搬送だけを依頼

して自宅等に運び、安置したらお茶でも飲んで 少し落ち着いて

から 家族で葬儀の相談をし依頼葬儀社を選ぶ事が出来れば

きっと業者主導の「言いなり葬儀」は避けられるし 葬儀のあとで

後悔する事も減らせるはず」というのが提案理由であり、聞いた

我々も、、最もだと思ったのです。 搬送依頼=葬儀依頼では

無く 葬儀だからと慌てず、少し落ち着いてから何事も決める。。

あなたはどう思いますか?・・・つづく

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