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非常に良い経験をした葬儀の数日後、あるお寺で話を聞いて
いると、その派遣会社が葬儀をしている事が分り、この地域では
良い葬儀社だと聞いて 早速、探して行ってみたのです。
小さな事務所の扉を開けて入ると 事務員の女性が対応して
くれたのですが、社長は不在で もうすぐ帰ってくるとの事。ならば
少し待たせて貰うことにして 話を聞いていると社長は利益より
相手が喜んでくれる事を優先しちゃうし、葬儀が趣味なんです。
って笑って言うのです。 葬儀が趣味?どんな感覚してるんだ?
この趣味、、ですがあとから思うに、、本当の意味で葬家の事を
考えて仕事をする葬儀社は少ないのが現実で その多くは利益
優先、、人の嫌がる事をしてあげるのだから儲けは多くて当然、
という風潮が当たり前の人達には「趣味だから」という言葉なら、
当り障りがないからなのだと、、僕なりに理解、納得しています。
結局「紹介では葬家が満足、納得は無理に近い」と分ったので
「我々が仕切り、信頼に足る葬儀社と一緒に施行する」に方向
転換出来たのは この葬儀社のお陰でした。 葬儀に取り組む
姿勢や考え方、湯かん納棺の方法など現在あんしんサポートで
行っている葬儀の基本は 全てここから学んだと言っても過言では
ないでしょう。 それからは「数人の自宅葬」「数人の民間会場
での葬儀」「100名ほどの葬儀」「200名・・」「300名葬儀」と
様々な経験をしていく中で、ある時この社長が言いました。
「武井さん、費用は変わらないのですから丸投げに近いくらい迄
任せちゃえば楽ですよ」 彼の親切心からでした。 別の見方を
すれば打合せから始まり 葬儀の全てを仕切っているのは僕で
作業をしてくれるのが その葬儀社ですから やり難い一面だって
あるのでしょう。。気持ちは分かりますが その提案は受け入れる
事もなく、、その後も全て僕自身が家族と相談してきたのです。
その中で、いくつかオリジナルが生まれました。 最初に出来たのは
ある葬儀で、火葬中にお清めが始まり、喪主が挨拶、、続いて
献杯の発声・・・直後、ザワザワと話が始まるのは当然なのですが
「ところで、最近商売はどうだ?」「それが不景気でさぁ」こんな、、
感じの話題が部屋全体で行われるのを見て、、何となく違和感
にも近いものを覚えたのです。 そして生まれたのがオリジナルの
「故人を偲ぶ」と書かれたA4サイズの用紙が料理の下に置いて
あり、、そこには故人の事やちょっとしたエピソードが書いてある。。
文末には、あなたと故人のエピソードを語ってくれませんか? と
書かれています。 献杯から5分だけで良い、、故人の思い出を
語ってくれたら、、家族は嬉しいと思うはず、、そして、来てくれた
人達に感謝の気持ちを持てるはず、、と思ったからです。 この
故人を偲ぶは、その後今も続いています。 それに続いて出来た
のが「無料で差し上げているフォトアルバム」です。・・・つづく
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まずビックリしたのは、湯かん納棺の雑なことでした。 湯かんは
せず、、納棺は手甲、脚絆などの白装束を「はぃ、、手の辺に
置いてください」「足の辺りに置いてください」こんな感じなのです。
見ている僕のほうが唖然、、、最後には「合掌!・・・直れ!」
ってお前は軍隊長か!?って突っ込みたくなるような態度です。
が、ふと横を見ると そのおっさんの息子?って感じの年代の人が
汗をかいて仕事をしているのを見て、、 親父は駄目でも息子は
その分頑張ってるなぁ、、って思っていました。 納棺が終了して
線香の準備をし、家族親族が線香をあげている間、庭で待機、
その時息子さんだと思っていた人と初めてくちを聞いたのですが、
息子ではなく葬儀の人材派遣をしている社長だそうで、社内に
誰も居なかったので自分が来たのだと言っていました。 一応、
名刺交換をしました。 そして、葬儀の当日 隣保班の方々が
「お清めの席で我々はお茶入れはしないのですが、、」と言われ
依頼葬儀屋の社長に言うと 「それ我々の仕事じゃないですよ」
「はぁ!?」腹の中は煮え始めていましたが、、今は喧嘩をする
より この葬儀を無事済ませることだと考え、すぐに千明に指示。
葬儀の途中で誰の仕事か、、なんてどっちでも良い話で依頼を
受けた以上、、きっちり済ませるのが仕事だと考える僕にとっては
この親父の感覚は全く理解できませんでした。。 更に葬儀の
あいだ中、、ずーっと他の葬儀屋の親父と2人で 会場出口の
まん前にある灰皿の所で タバコを吸っているだけ、、なぁーんも
しないの?って感じです。 バタバタ動いているのは 昨日会った
派遣会社から来ている 若い男の子だけでしたので、今思えば
我々2人がアシスタント作業を全てやったのです。 相当動いた
のでしょう。 隣保班の方から市役所の方も少し休んでください。
と言われる始末、、「あははっ 市役所の人間ではないですよ」
と言うと、しっかり、、あんしんサポートの宣伝を聞いてくれました。
葬儀は無事済みましたが、、葬儀後うちの事務所に来た親父を
さすがの僕も怒鳴りつけました。 この話には おまけ談まであって
葬儀後、僕らへの支払があるからと 葬家に行ってその分の金を
くれと言ったんだそうですが、、それが分ったのは半年後でした。
二度と依頼しないのは当然ですが、この最悪な葬儀の経験が
自分達で葬儀をしようとするきっかけとなった訳で、その結果、、
葬家が応援団になってくれたり、、パンフレットを配ってくれたり、
葬儀後もお茶をしに寄ってくれる事にも 成っているのだと思うと
反面教師に感謝ですかね。 そして ある言葉を思い出します。
「チャンスとは時に最悪の状況で突然、目の前にやってくる事が
あるが、それに気づき、捕まえられる者こそが、成功の入り口に
立ったも同然である」ってね。・・・つづく
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「人が生まれたら 必ず終幕を迎えるのは、周知の事実なのに、
人生最後の「看取り」は知らん振りで、、少子化対策だなんて
ザルで水をすくうようなもの、まず、産み易い環境と出産に掛かる
費用の対策、養育に対する不安の排除、そして看取り費用の
心配をせずに済む行政の対応。 それが最初に行政の行うべき
ことのように思える。 そんな国家ならば民は頑張って働いて得た
お金からでも、進んで税金を払う。 理想かもしれないが、それが
官と民、、それぞれの役割ではないでしょうか? 良く考えてみて
ください。 仮に20才で社会に出て80才で亡くなった人ならば
60年間税金を払い続けて来た訳でしょ? その人がどんなに
大変な時期でも行政は税を取り続けてきたし 場合によっては
差押さえまでするのに 人が亡くなると行政は何もしてくれない。
国・県・市がその人の葬儀せめて火葬に掛かる費用くらい持って
もバチは当たらないと思う。 けど行政はしないでしょ? だから
我々がするんです。いかが?」 今、書いたものを見ると我ながら
よくもまぁ、、僕程度の人間が、こんな事が言えたもんだと思うが
これを聞いた職員は、なるほど と言ってました。 別に県職員が
悪いわけではない。 人が生まれたら必ず終幕があるのは分って
いながら、最後の対策をして来なかった政治に問題はあるので
しょうし、 それに対して何も言って来なかった消費者にも問題は
あるんだと思う。 それにしても生きている人達、、老人介護等
ならいくらでもNPOはあるのに、亡くなった人や家族に対しては
お寺さんが主導しているNPOはあるようですが、、他には群馬
という地域には無いらしいとの事。 まぁ、、仕事が特殊だから、、
誰でもできるとは思えないけど、、この時はまだ紹介を基本として
考えていたのです。 その後、市役所の各課、公民館、葬儀社
お寺、それと葬儀経験者の人達と NPO法人設立まで3ヶ月
とにかく色々な人達と会い、、話をして、あと半月足らずで法人
設立という6月半ば、、突然、一件の葬儀依頼が飛び込んで
きたのです。 この時点の僕は全くの素人同然でしたが、すぐに
近場で以前に話をした事のある葬儀屋さんに依頼をしました。
葬儀屋さんが安置をすませると 僕らだけで打合せに入ります。
お金が無いとの事や 我々も初めてなので勉強のつもりで殆ど
収入は見込まず、お寺さんには家族と同行してお布施の減額
交渉をし、葬儀会場・火葬の予約も済ませ、全ての打合せが
済んで葬家を出た時は 夜の9時を回っていました。 その足で
依頼した葬儀社と打合せをしようと電話、、、相手の返事は、、
「今、前橋に居ないんですよ。会合で伊香保温泉にいるから、、
今日は帰れません」 「はぁ?葬儀打合せもしないの?そんなの
ありか? あり得ねぇだろ!」段々腹が立ってきましたが、葬儀を
受けた以上、葬家に迷惑は掛けられません。 結局明け方まで
掛かって打合せ内容の全てを書面にまとめ、降りしきる雨の中、
葬儀屋のポストに資料を投函して帰ったのです。 この程度の
葬儀屋に依頼した僕が馬鹿なのでしょうが、尻拭いで追われた
葬儀は、、こんな感じで始まりました。・・・つづく
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