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2人の女性と千明と僕の4人で会ったのはシダックスの一室です。
画面を切り、扉を閉めると密室で会議状態になるし 飲物だって
ついてるし、 フリータイムだから一人600円で何時間も話せる。
僕の前に現れたのは30代と40代の女性で どちらも既婚者
でした。 当時は自分で葬儀をする気などさらさら無く やると
しても 消費者から見て良心的な葬儀社の紹介がせいぜいだと
思っていたので 現状の葬儀実態を話し、、どんな葬儀社なら
後々、後悔をしないで済むのか、、葬儀社に望む事はあるのか
等々を色々聞いたのですが あとになってその2人が言うのには
その時、初めて会った者同士だったけど 千明さんは騙されてる
絶対そうだ、、間違いない!という意見で一致したのだそうです。
ちなみに、、この2人は現在 当社理事に名を連ねています。
時々、人生相談にも来るんですから、、第一印象じゃ分らん、、
って事なのでしょう。 その後、前橋から少し離れた地域に行き
葬儀屋さんに飛び込んで話を聞いたり 葬儀経験者110名と
会って話をしたり お寺さんに行って話を聞いたりと4ヶ月ほどは
色んな人達と会って話をする期間として費やしました。 そうこう
しているうちに 僕のほうが段々やる気が出てきたと言うか、、
本当の意味で消費者の求める葬儀社は殆ど無いと分り始めて
来たからこそ、、良い葬儀社が探せれば、、場合によっては既存
葬儀社の経営方針を転化させるくらいの紹介ができるかも、、、
なんて思い始めたのですが 自分の年令を考えると 出来れば
将来に存続できて、、誰か個人の私利私欲だけで動かし難い
だろうと思えるNPOでの設立を提案したのです。 ですが千明は
「分りました。。なら、来年春にでも始めますか?」程度の感覚、
あちゃ~~~こりゃ駄目だ、、そして言ったのです。「今の感覚が
本気なら始めるなんて考えないほうが良い。勤めているべきだよ」
聞いた千明は理解できないようです。 物事は全てタイミングと
いうのがあって 今でも遅いかな、、と思っているのに一年後では
到底、出遅れて無理だと思ったからです。 そこから3ヶ月間を
費やして千明は退社、、、4月にNPOの申請をして 結局は
6月末にNPOとして法人化したのです。 4月に県庁に申請に
行った時、担当者の方が言いました。「武井さん なんでNPO
なのですか?」即座に僕のくちから出た言葉は「あなた達行政が
しないからですよ」という僕に対して 「はぁ?どういう事ですか?」
この時、何も考えずに僕のくちから出た言葉が 今もって当社の
指針であり基本になっているようです。・・・つづく
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インターネットで葬儀を調べれば、調べるほど疑問は増すばかり、
極端な言い方をすれば、、現行の葬儀内容全てに疑問が湧くほど
作り変えられているようで、葬儀の内容は葬儀社が作ってきた!?
最近の新生活香典は昭和20年代頃、敗戦で生活が厳しい現実の
中で お返し無しの小額で結婚を祝い 小額で葬儀香典弔いをする
というお金の無い人達が 皆で支えあう目的として生まれた習慣で
あったはずが、、いつの間にかは新生活にも返礼品があるのです。
布施も寺が金額を決めている現実に、、それっ布施って言うのか?
挙げればきりがないほどで、、今の葬儀は「豪華なセレモニー」に
なっているらしい事が分ってきた。 僕は元々婚礼美粧の仕事を
ホテルでしてきたが、、20年ほど前の事を思い出した。 今では
考えられないだろうが、、当時の結婚式では 「ゴンドラに乗った
新郎新婦が天井から降りてくる」こんなのまであったのです。でも
当時、ホテルでの結婚式は300万円~400万円も掛かっており
新郎新婦に聞くと 自分はそんな大金を持ってないと平然と言う。
って事は親が出している訳で、こんな結婚式は続かない、絶対に
変わると言っていたが、 案の定、今は人数も当時の半数以下が
普通のようだし シンプルな結婚式になってきたようで、 結局は
シンプル イズ ベストなんだろうと実感する。 ましてや葬儀なの
である。 人がこの世に生を受ければ 必ず終幕はある訳だから
結婚式よりもっとシンプルになってもおかしくはないのにと思えた。
しかし、、葬儀の実費用までは分らないし、県内の葬儀実態なんて
全く分らない。 そこで、僕の経営する美容室店長に聞いてみた。
「お客様の中に葬儀の仕事をしている人は居ない?」すると、、
「何人も居ますよ」との言葉に、その中で一番 性格的に癖の無い
人が来たら僕の事務所に案内して欲しいと 伝えておいたのです。
その結果、事務所に来たのが千明であり、大手葬儀社で8年間も
営業の仕事をしてきたとの事でした。 そこで、父親の葬儀の話や
ネットを調べて湧いた疑問と、 ついでに今、県内で100名葬儀を
したら いくらの費用が掛かるのか、、などを早速聞いてみました。
確か、 当時の千明からは100名なら150万円くらいからですね。
って言ったのに、 今は250万円とも言われるのですから、施行が
減って価格を上昇させている葬儀社もあるって事です。 2時間程、
僕の思う葬儀とはを一気に話をしたのです。 葬儀費用が高過ぎ。
その費用の多くは利益である事、 家族が故人を思う心理を逆手に
とって霊感商法か?と思えるような対応で費用をあげて行く営業や
経営手法に対する疑問、、お布施って「ほどこし」であるはずなのに、
何で寺が金額を決めるの?とか、まぁ好き勝手に話して 言いたい
放題だったと思います。 その後で千明から業界人としての見解に
逆襲にあっても当然だと思っていた僕の耳に入ったのは予想外にも
「その通りだと思う」という千明からの言葉でした。
暫し呆然、、唖然、、予想外ですが 静かに彼女が話をし始めました。
私はこの8年間会社が言うように うちで葬儀をする事が葬家には
最善の方法なのだと信じてきたけど、、最近、葬儀後の家族を見て
いると、疑問が出始めてきていた。 今日、僕の話を聞き その思い
はより強くなった気がするというのです。 その日は、それで終わり
ましたが、その後は千明が何度も来社して 葬儀に関する話をする
ようになって1ヶ月ほど絶ったある日、千明が突然言い出しました。
「オーナー、、葬儀社始めませんか?」 「・・はぁ? 何で俺が葬儀
屋さんするの?」 よくよく話を聞いてみると 最近自分の仕事が
自信を持って出来なくなっているらしいのですが、この仕事は嫌い
じゃないし、 人に喜んで貰えると 自分も嬉しくなるから 出来れば
続けたいけど、 今のままではとても無理。。 だから 葬儀に対する
考え方が 共感できる僕が起業すれば、、という事らしいのです。
正直、僕の中では困ったなぁ、、余計な事を言い過ぎたらしい。。
と思いつつこう言ったのです。 「あのね、僕が葬儀社を始めたって
借入れをして建物を建てれば、当然返済があるから その分葬儀
費用に転嫁される事になる。 なら、現状の葬儀社と一緒でしょ?」
だから、始めるにしても別の方法は無いか、、葬儀経験者はどんな
後悔や疑問を持っているのか知るのが先じゃないかな?」と言う
僕の言葉に納得したらしく、、とりあえず誰でも良いから 遠くない
将来に葬儀を想定できる人や 経験者に会ってみようと 最初に
会ったのは、千明が仕事を通して知り合ったという 僕は初対面の
2人の女性でした。・・・つづく
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さて、話は神奈川を走る車の中に戻ります。 助手席に乗った
彼女のほうが先にくちを開きました。「本当に息子さんですか?」
「ん?どういう事ですか?」「あのぉ、、実は彼から家族が居るって
話は聞いた事がなく、天涯孤独だって言ってたから・・」 それを
聞いた僕は思わず笑ってしまいました。 なるほど、、別の人間
として生きたほうが色々が楽だろうからな、、と思いつつ、ならばと
改めて自己紹介したのですが、 「あ、その利之っていう名前は
甥っ子だって聞いてます」との事、、またまた笑っちゃいました。。
天涯孤独なのに甥っ子ですか?ってね。 それを聞いた彼女も
なるほどぉ・・って言ってました。 それから暫くは僕が息子である
のを確かめるような話や 僕の家族の話などで数時間費やした
のですから よほど信じられなかったのでしょう。 結局、その日は
ホテルに一泊して夜通し話すことになりました。 亡くなる数ヶ月
前に二人で最後に行ったグァムの写真は 頭にバンダナを巻き、
外人さんと笑顔で談笑する父親の姿があり、僕の中にあった、、
40年前の父親の姿そのままでした。 何枚もの写真を見て、、
父親なりに幸せに暮らしていたのを知り ホッとしたものです。
ところで、父の遺骨はどうしたのですか? と聞く僕に彼女は
彼の好きだった 真っ青な空と海のハワイに散骨しましたと言う。
散骨?ハワイ?散骨という言葉は知っているが なんでまた、、
わざわざハワイの海に、、どうやって持っていったのか聞くと背中に
リッユクを背負い持って行ったのだそうです。 更に写真を見ると
白い棺の周りに真っ赤なバラの花が飾ってある写真がありました。
父親の棺だそうで、俺は線香が嫌いだから要らない、バラの花を
飾って欲しい、、葬儀は要らない、、部屋に置いてくれれば良い
それから、、俺が死んだら近所にある○○葬儀屋に行けば良い
葬儀一切を頼んである。。と終幕間近に言ったのだそうです。
父の死後、彼女は 生前 父親の指示した通りにしたい という
一心で散骨まで動いたそうですが 父親の言いつけ通りに出来た
満足感もあるし、今もすぐそこで私を見守ってくれている気がする
そういう彼女の顔は 何か事をやり遂げた満足感をたたえている
ように見えました。 多少の蓄えは残したようですが これから先
生きていくのに役立てれば良い事と 父親の最後を看取ってくれ
たのは有り難いが、彼女自身は父に縛られず 自分の人生を
生きて欲しい事を告げて神奈川をあとにしたのです。
走る車の中で父親の言動を考えました。 なぜ散骨を選択した
のか、、なぜ自分の葬儀の事前相談をしたのか? 本当の所は
分りませんが 僕なりに思ったのはこうでした。 まだ60才を過ぎた
ばかりの彼女が自分の遺骨を抱えていては 新しい人生を送る
上で大きな障害になりかねない。。 この先良い人との出会いが
あったとしても墓があったら 色々な詮索をされる事になるだろう。
ならば、何も残さないのが最善、、そして、事前相談については
結婚もせず、、何十年も過ごしたのですから彼女の家族からは
決して良い印象はないでしょうし もしもの時に頼れないだろう。
ならば、生きているうちに自分の最後はキッチリ決めて支払まで
済ませておけば、、彼女への負担が減らしてあげられる。。
きっと、こんな愛情からじゃないかなぁ、、、ってね。 これが正解
だとしたら 最後まで人に対しての優しさを持っていられたって事
ですし、、14才年下の彼女、、さっすが俺の親父!って感じ。。
群馬に戻り、PCに向かい「散骨」と入力した事から散骨・墓・
葬儀、、などについてネットで読み始めたのですが、調べれば、、
調べるほど、、変だと思うようになっていくのです。・・・つづく
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