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美容に携わって30年のある日 忌み嫌ってきた葬儀の仕事を始めるきっかけとなる時は突然訪れた。。
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年のせいか、、仕事がハードなのか分りませんが 葬儀を終えると

体調が戻るまで数日掛かるのですが まだ疲れが取れない2日後

いつものようにパソコンに向かっていると 反対側の机では 千明が

母親と電話で話しています。 どうも知り合いのお見舞いに行こうと

明日の夜を予定していたようですが 母親を乗せて行く弟の都合が

取れないとの事、千明と上の弟は明日の夜予定通り見舞いに行き

母親と下の弟は4日後の日曜に行くことになったようです。。

一度は「へぇーそっか」と聞き流した話しなのですが 特別な根拠

など無いのに どうにも気に成ります。 そこで、千明に母親に電話

して明日の仕事が終わる時間を確認したら 伝えるよう指示すると

午後5時には終わると言うので 迎えに行くから見舞いの用意を

しておくようにと伝えたのです。 それも前橋から片道1時間30分

そこから見舞い場所まで1時間、、30分の見舞い時間だとしても

前橋に戻れば午後10時は過ぎるのに、、人の見舞いに7時間!

なんで?? 自分でもそう思いますし なぜかは分りませんが、、

僕のくちが勝手にそう言っていたのです。 我ながら呆たものです。

翌日夕方、、前橋の事務所を出て北に1時間半走り 千明の母親を

乗せると渋川の病院へ着いた頃は 暗くなっていました。

千明達家族3人は病室へ向かいましたが 僕はもしもの時用に使う

写真探しを一階の待合椅子でしていたのです。 何冊もアルバムを

見ていると 戦時中から戦後の田舎の様子が伺えます。 その中に

一枚の婚礼写真を見つけた。 誰の婚礼写真か分りませんでしたが

よくよく見ていると 故人の妻であり、、あんしんサポート会員である

息子の母親か?と思えます。 でも母親の話は一切聞いた事もなく

生死すら聞いていませんでした。。30分もすると見舞いから戻った

家族と病人の息子さんと僕の5人で座って暫く話しをしました。

「おっちゃん何か言ってたけど ありがと、しか分らなかった」と言い

随分悪くなってるらしくて 数ヶ月前には親戚の葬儀に出られる

元気もあったそうだが 今は言葉すら分らないらしい。。 そこで、、

先ほどの婚礼写真の話しを振ってみると 息子さんは一気に話を

し始めた、、自分が生まれて2ヶ月で逝った母親、、息子の為にと

再婚せずに一人身で過ごした父親であり 母親のような人の為に

田舎で奔走して病院作りに生涯を掛けた人でもあるようだ。。

政治的な問題もあり 田舎の村では容易に受入れて貰えない事は

すぐに理解できたし 息子さんも嫌な思いは数知れずしただろう。。

決して話しの上手な息子さんではないが 彼の中にある父親に対

しての誇りや 自分の真意を抑えて生きてきた心の叫びのような

ものが、、、初めて聞く僕には感じられたのです。 ・・・つづく


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