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この数回でお墓の所有者の違いや種類、墓石の簡単な見分け方
などの他、墓標の彫り方色々を書いてきましたが 全て「墓」を前提
としたものです。 前回予告した「散骨」「手元供養」を書く前に、、
本ブログタイトルでもある「我想う」で墓とはなんぞやを書いてみます。
釈迦が亡くなった時に遺骨を納めた ストゥーバが起源だという説が
あります。土で作った塔のような物で その後、多重塔なども作られ
日本では五重塔などの形をしている物もあります。ようするに遺骨を
収める場所です。「私のお墓の前で泣かないでください。 そこに私は
居ません。眠ってなんかいません~♪」この歌を聞くと「本当だよな」
って思えます。 霊魂の存在があるかないか 僕には分かりませんが
遺骨は故人の肉体で最後に残した物であるのは確かではあっても
そこに何かが宿っているとは思えません。 遺骨うんぬんというより、、、
沢山の先祖が居てくれた結果、、自分が存在するのだと言う祖先に
対する感謝の心や 今は亡き両親を始めとした最愛なる家族達と
心の会話をする場所、、それが「墓」であり「仏壇」のような気がする
何も無い空間に向かって話してたら、、怖い人?って思われるけど
墓や仏壇に手を合わせて話しているなら、、別に変な人じゃないし
優しい人、、にすら感じさせる。 そして、自分一人で生まれた訳で
なく、一人で生きて行ける訳でもなく、命の息吹を次に繋げて行く
のだという教えを形にした物が 墓や仏壇の存在のように思える。。
だとすれば、「私のお墓の前で~♪」はその通りで 大切なのは墓
ではなく その「心」なのだから 本当の墓は自分の心の中にある。。
僕の考え方でもあり あんしんサポートの考え方にも成っているけど
最高の供養は「豪華な葬儀をする」でも「立派な墓を建てる」でも
無くて いつまでも故人を忘れない事と 故人が安らかに成仏できる
ように 残された家族皆が いつも笑顔で元気に毎日を過ごす姿。。
だと思っているし これなら、お金がある人でも 無い人でも誰でもが
平等にできて 嘘やごまかしの通用しない「心」の供養でもあるしね。
あとは、宗教家に言われた。。人に言われたじゃなくて 自分自身
納得できる方法であれば 遺骨供養はどんな方法でも 法律さえ
クリアできていれば良いんじゃないの? これが僕の感覚のようです。
んな訳で、次回はやっと「散骨」「手元供養」の話です。・・・つづく
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