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事の発端は葬儀のパンフレットやホームページを見ても せいぜい
祭壇だけが写った写真がある程度で 葬儀の内容が分るようなも
のは見たことがありません。 ならば、最初の打合せから最後まで
ずっと写真を撮らせて貰えば可能になる訳ですが、写真を撮らせて
使わせて貰うお礼にとA四サイズで数枚から十枚程度のページで
構成された葬儀アルバムです。 このアルバムは悲しみが落ち着いた
時にひとつの思い出として見て貰おうと、写真に文字や言葉を付け
加えたものです。 中には少し笑える部分を加味してあり、大きさや
形も色々に作ってあります。 これは葬儀後、家族の心が言えた頃
改めて見た時に、良い思い出のひとつになって欲しいからです。
こんな風に家族に近い目線で葬儀をするようになってみると最大の
壁が見え始めてきました。 それは、葬儀費用の問題です。
家族目線とは、当然費用についても考える事ですが、設立から
一年間の中で葬儀の大枠を知り、提携してくれる葬儀社も増え、
地域によっても葬儀社によっても葬儀の中身が違うのだと知る所
まで来ましたが、設立前に言っていた金額設定は「国保からの
埋葬料五万円だけで可能な火葬」「生きているうちに葬儀の事は
考えたくないと言う人達用に三十万円以内で可能な葬儀」そして
葬儀規模は必ず五十名~七十名程度まで小さくなるから、総額
五十八万円で納まる葬儀」という国保以外は何の根拠も無いの
ですが、何となく、僕の頭に出てきた数字を思い出したのです。
当時は百五十名程度なら百万円を若干切れるところまで来て
いたし「一般葬儀社の四割価格」と新聞にも取り上げられる程度
の料金にはなっていたのです。この初めて新聞記事になった原因は
テレビ番組、カンブリア宮殿で愛知の安い葬儀社が取り上げられた
のだそうですが、その番組を見ていた人の中に あんしんサポートで
葬儀をされた方々が居たようで、五名ほどの人達から新聞社あに
電話、メール、FAX等で、群馬にはもっと安くて良い葬儀社から
あるから取材してください。との要望が入ったから、、 と取材に来ら
れた記者さんに聞いたのを覚えてます。確かに業界の人から見れば
百五十名の葬儀で九十数万円は安いのでしょうが、消費者から
言わせて貰えば、ちーっとも安くない。って俺なら思う訳で、、
真剣に設立前に思い描いた数字まで費用を下げる為には、どう
すれば可能になるのか対応策の検討をしますが、たった二人なので
いつでも、どこでも会議!は、お得意のパターンです。検討結果は
次のような内容でした。
一、納棺師の仕事を含め、司会以外は、一から十まで葬儀の
全てを自分達で行なえる実力を持つ
二、自宅葬儀、斎場葬儀、いずれの葬儀も可能なだけの
葬具を自社所有
三、寝台車、霊柩車どちらにも使える営業ナンバーの霊柩車の
自社所有
正直、これらが整ったから出来るとは限らないが、揃わなきゃ絶対
無理なのだけは分ったのです。NPO設立から二年目は、五万円
火葬という最終目標達成の為の、課程目標を達成しようと動く
年になりました。この時から病院のお迎えにも同行、ドライアイスの
当て方や、どこに当てれば効果的か、包み紙は何が良いか等々、
今まで軽く流していた部分にも目を向け、意識するようになったの
です。 各提携葬儀社の仕事を何度も見ていると、納棺師の
仕事が大きなポイントと思い始めました。 搬送から火葬後の
焼骨の安置まで 基本的に裏方が葬儀社の仕事ですが、湯かん
納棺の儀だけは、最前面に出る仕事であり、ある意味主役とも
言える唯一の仕事だったのです。・・・つづく
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菩提寺も無く、 特別宗教心も無いのですが、僧侶に拝んで
欲しいと思う人は多いようで、その時もそうでした。そこで、低料金で
対応してくれる寺を探しました。 その結果、今では葬儀の時は
「本葬経」に「初七日法要」「釜前経」そして戒名で十五万円で
お願いしているお寺がいくつかあります。 この戒名ですが、欲しけ
れば院号でも構いません。 また檀家には成らず、忌明け法要や
一年忌など法要の時は一回三万円を支払い、あとの付き合いや
寄付は一切ありません。 正直、まだ高いとも思っているので これ
からも相談をしながら金額を下げていくつもりです。 また事務所の
ある前橋から一時間半の距離での葬儀をした時、事前相談を
しながら心配していたのは 病院から自宅までの搬送に前橋の
業者を使うと費用が高くなるのが必至だった事です。 そこで出した
結論は搬送用布団を家族に預けておき、自分達の車で自宅まで
運んで貰うという 苦肉の策でしたが、これが以外な効果を教えて
くれるのです。その時が来て自宅へ向う車中ではこんな会話があっ
たのだそうです。 「父ちゃん、椎坂峠だよ、、沼田の町が見えるよ。
ほら、、もうすぐ桜が咲くよ」葬儀後にご家族から聞かされた話。
初めは自分で運ぶの?って思ったけど、父ちゃんと話をしながら
自宅まで戻れたのは 寝台車では無かったからで、良かったとの
ことでした。 これで教えられたのは、故人や家族の以前住んでいた
家とか、、思い出の場所とかそう遠くない場所なら、寄り道して
あげたり、時には数分なら停車してあげられたら良いなということ、
いつか霊柩車を自社で持つ時が来たら そうしようと決めたのです。
書いていて思い出したのですが、こんな事もありました。
千明の父親のお兄さんが病気で入院している時、地元に居る下の
弟が母親を乗せて、自分と、上の弟は前橋、高崎から渋川の
病院に行きお見舞いをする事になっていたらしいのですが、午後
三時頃、母親から千明に電話が来て、下の弟が今日は行けなく
なったので、二人で見舞いをしてきて欲しいとの事のようです。
自分は三日後の日曜日に行くから良い、と言って電話を切ったと
聞かされ。 僕のくちから出た言葉は「午後五時に迎えに行くから
仕度しておくように電話しろ」でした。 突然言われた千明もビックリ
していますが、言った僕自身もビックリです。 千明の自宅まで片道
一時間半で、病院まで一時間、片道だけで二時間半車の往復
時間だけでも五時間、、なんでそんな事を言ったのか 自分でも
分りませんが、言っちゃったものは行くしかありません。午後五時、
母の仕事場に到着し母親を乗せると自宅に向って、身支度を
整えると渋川に向って走ります。病院に到着した時は辺りは真っ
暗でしたが、息子が看病に来ており、僕以外のみんなは病室に
向いました。もしもの時に使う遺影用の写真を選んでくださいと渡
されたアルバムを眺めていると一枚の婚礼写真が目にとまりました。
多分、病人と奥さんなのでしょう。 病室から出てきたみんなが
座って話を始めました。その中で普段はあまり多くを語らないという
息子さんが父親の話しや、母親は自分を産んで二ヵ月後に亡く
なった事、、それをきっかけに父親が田舎にも大きな病院が必要と
奔走した事など語ったのです。それを聞いていた僕には 彼の訴え
たい心が見てとれました。 その日はみんなで食事をして帰ったの
ですが、翌日の午後三時、昨日お見舞いに行った千明の叔父
さんが逝去された知らせが入ったのです。 きっと、叔父さんが千明
家族に会いたいと 僕を走らせたのでしょう。 この葬儀で生まれた
のが「お別れの手紙」です。気になった婚礼写真と、千明の父親で
ある故人の弟が収穫した米で作った おにぎり、そして、前日に
語った息子さんの心根を文章にして 当の息子さんに見せました。
その手紙を見た第一声が 「文章は自分より ずっと上手だけど
自分で書いた文章と内容は全く同じだったのでビックリです。
なんでこんなに良く分るのですか?」という言葉でしたが、良くある
褒め言葉だと思い、気にもしませんでしたが、後日、彼の書いた
文章を見せられると本当に、全く同じと言っても過言でないほど
内容的にはピッタリでした。葬儀当日、棺に向って僕の書いた
文章を読み上げると、昔からの出来事を知っている叔母さん達の
すすり泣く声が会場全体から聞えてくるような状況になりました。
返礼品を納める所長が 後日言うには 「自分は相当慣れている
ので、まず泣くことはないのに、あれは俺でも泣いたもんね」と言い、
良い葬儀だったよと褒めてくれました。 このお別れの儀に行なう
お別れの手紙と 故人にちなんだ品物を棺に入れてあげる部分
では、「白の割烹着」「草むしり用日除け帽子」「豚の角煮」
「甘納豆」「バナナ」「和菓子」などなど多岐に渡り、時には手紙も
書いて家族に読んでもらっています。 そして、もうひとつ、いつの
間にか定着していたのが「葬儀アルバム」です。・・・つづく
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席についてザワついている時や喪主挨拶の時、献杯直後等に
読むのですが、中々の効果を発揮してくれます。ただ、実際会った
事の無い人を、、家族から得られるほんの少しの情報で書くのが
大変ですが、葬儀前日、書いた文章を家族に見せると 皆さん
涙ぐんで読まれます。それを見た僕は「良し」となるのですが、多分
「故人を偲ぶ」が家族目線で葬儀を見始めた最初だと思います。
次頁に故人を偲ぶの一部を記載しておきますので、読んでみて
ください。
「故人を偲ぶ」-------------------------------------
お母さんへ、、 もうお父さんには会いましたか?
20才年をとったお母さんの事を すぐにわかってくれましたか?
元気だったお父さんが 突然の事故で動けなくなってからは
ずっと看病の日々で、、叶わなかった夫婦での温泉めぐり、、、
長い時を経て、やっと叶えられますね。 お父さんが先に逝ってから
20年間頑張ったご褒美に、、いっぱい甘えさせて貰ってください。
きっとお父さんは「待ってたよ」って迎えてくれたでしょうから、、、
お母さんの好きな「果物」と「うどん」を入れておきます、、、
夫婦で食べてから お父さんの強くて、優しい腕の中で温もりを
感じながら 頭を撫でてもらいながら ゆっくり休んでください。
長い旅路の途中で食べられるように「おにぎり」も入れておきます。
私達、姉弟を生んでくれて、、、ありがとう。。
人に優しく、、、人生どんな事があっても前向きに頑張る、、
そして明るく、、生き方の手本を、、子育ての中で、、生活の中で
教えてくれたお母さん、、これからも姉弟ちからを合わせて生きて
いくから 心配しないでください。。
そして、、今まで沢山の愛情を ほんとうにありがとう。。。
あなたは、お母さんとどんな思い出がありますか?
ほんの少しの時間で良いんです。
今日のこの場だから、語って貰えませんか?
-----------------------------------------------
次は料理と容器です。 ある葬儀での事、料理の下に故人を
偲ぶの用紙を入れに行っていた千明が飛んできて言いました。
「ちょっと来てください。 料理の容器が変わっていて、何だか安っ
ぽいんです」すぐに向います。 料理を並べていた料理屋さんに
聞きます。 「なんでこんな容器なの?」 「原油が値上がりして
今までの容器では対応出来なくなったので変えたのですが まずい
ですか?」僕の答えは簡単です。 「駄目に決まってる。こんな
安っぽい入れ物でベターと並べたら 美味い物だって不味く見える
でしょうが? 料理は味も大切だけど見た目も大事なのは分ってる
でしょ? こんなときは値段が上がっても良いから、違う選択肢を
事前に言え!」 怒って当然、怒られて当然なのです。
もう今日の料理は見た目最悪のままなのですから、、ついでに
言います 「味を落とさざるを得ない場合も 事前に相談してくだ
さいね」 この騒動から生まれたのが京風幕の内三段重という
重箱を三段重ねた 二三一〇円税込の清め料理なのですが、
毎回のように美味しいと中々の評判です。
料理で大きなバックマージンを要求する葬儀社も多いようですが、
料理は美味しいことが第一で、 そこからの利益なんてどっちでも
良いと思っています。 その理由は、仮に我々の施行する葬儀
全体が好印象で感謝して頂ける内容だったとしても、最後の清め
料理が不味かったら、それまでの苦労が水の泡となるからです。
自分達の失態で失う信頼ならまだしも、料理、花、返礼品など
業者さんの部分で我々の信頼喪失だけは我慢できません。
だから、業者さんが嫌々じゃないと 出来ないような仕事の依頼は
しないって事です。 次はお寺さんの紹介でした。・・・つづく
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