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美容に携わって30年のある日 忌み嫌ってきた葬儀の仕事を始めるきっかけとなる時は突然訪れた。。
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葬儀をすれば分りますが 親戚は必ずしも葬家の味方とは限ら

ないからです。 どちらかというと、家族の事は考えずに、、自分の

主張だけを押し通す人も多いので 他人より始末が悪い事も極々

当たり前にあるのです。 先ほど書いた「くちは出すけど、金出さず」

これが最悪のパターンでしょう。 くちを出すなら金も出せ、、か、

金は出さんがくちも出さん。 どちらかにすべきです。 ですから、

あんしんサポート事前相談に来られた方には 伝えておきます

「僕らは家族の為に動くのであって 親戚の為に動くつもりはあり

ません。 だから、うるさい親戚に何か言われたくないなら 葬儀に

なった時には 全てが決まっているので心配いりません。 という

状況を作り出しておくのがベストで、それが間に合わない時は、

我々を悪者にしても構いません。 自分達家族の思いを通して

ください」と、言っておきます。 なぜでしょう? この点もなぜか

考えてみましょう。 もう何度か 僕のとった言動と あなたなら、、

と言ってきましたが、本書を読んだ方が僕の発想に縛られるのでは

なく、自分なら何をどうしたか、と考える事が大切だと思うからです。

どんな風に考えたとしても、 どんな答えが良いかの結論も出ず、

採点もできませんが、考える習慣の訓練にはなると思うからです。

そこで、前回末尾の問いに対する答え、それは、あんしんサポート

自身の為です。 葬儀を依頼してくれた家族はあんしんサポートに

対し信頼とまでいかなくても、不信感は持っていないはずです。

そこに親戚が来て 葬家の事情を無視した発言をする。

例えば「料理はもっと良いもん食わせたほうが良いんじゃねぇの」

「香典返しはケチらねぇほうが良いぞ」こんなの、誰だって分っている

事で一番分っているのは葬家です。 でも財布事情がそれを許さ

ないだけの話。 なのに、余計な事を言う親戚に対して、内容が

内容だけに反論し難いのです。 親戚に押し切られたら結果として

後悔の葬儀になる可能性大です。 それなら、我々が悪者に

なっても 葬家が後悔をしない葬儀になれば、少なくても一軒の

味方はできるからです。 この親戚のいう事を聞いてもこの親戚は

味方には成らないですからね。 なぜか? 立場が変われば考え

方も変るからです。 翌日の葬儀、出棺、火葬、清め、と進み、

拾骨が済むと斎場の外で、長男から挨拶をして貰いこの場で散会

する方法をとりました。予想通り、自宅に戻ったのは家族だけです。

普通ここで 全てを片付けて、後飾り祭壇だけを残すのですが、

今回は自宅での家族葬儀なので事後報告のような形で新聞の

お悔み欄に出す予定である。 多分、僕の読みではそれなりに

人は来るだろう。 そこで、生花以外は葬儀祭壇のまま、暫く

お貸しすることにした。 事務所に帰るとすぐに、請求書を作成し、

葬儀アルバム作りが始まる。 明日の集金時には写真アルバムを

持って行くのだが、肉体的に中々厳しい作業となる事が多い。

請求書は簡単で十八万九千円+料理+返礼品。

翌日、写真アルバムを持って集金に行くと、写真を見た家族が

感動してくれる。 この点は、どうもスピードが大きな要素らしい。

集金が済むと、湯かん納棺の儀の一件が話題となった。

家族のみんなが嬉しいそうに話す、みんな腹の中に 溜まっていた

ものがあったのでしょう。 続いて、葬儀前日夜の話しになった。

通夜の夜は家族だけになってから、普段歌に縁の無いお父さんが

たった一曲だけ「この歌は良い」と自動車の中でも何度も、何度も

繰り返し聞いた曲があって それを一晩中流しながら、思い出話し

ができたのが最高に良かったと 家族みんなくちを揃えて言うのです。

「その曲って?」 「かぐや姫の僕の胸でおやすみ」 従姉弟が居た

のだそうですが、初めて聞いた曲なのに、いつの間にかくちずさんで

いるほど流し続けたらしい。 すると、お母さんが言う「今日、線香を

あげに来てくれた私の友人達から、何で普通より一日長かったの?

と言われて そうなの? って言ったんてすが、普通より長いんです

か?」 「お母さん覚えていますか? 初めて伺った時、自宅が好き

な人だから もしもの時はできるだけ自宅でゆっくりさせてあげたいっ

て言ってたじゃないですか? だから、一日長いのは承知で火葬

予約をしただけですよ」 「あー、、そんなちょっとした会話まで覚えて

いてくれたんですね。 そのお陰で最高の通夜を家族で過ごせたん

ですね。 何からなにまで本当にありがとうございました。 あんしん

サポートさんに お願いして本当に良かったと思います」この二週間

後、自宅置き分の返礼品を引上げる時には、来る人、来る人に

お母さんの母、お婆ちゃんがアルバムを見せて、自慢?でもしてい

るかのように、嬉しいそうに話していたそうです。 いかがですか? 

正直、僕は一般葬儀社がどんな対応をし、何をいうのかも分りま

せん。が、葬儀社に勤務していた千明が言うには、全く違うとの事

僕らは、家族の人達が納得して半年一年経っても、後悔しない

葬儀が出来たら、れが最大の目標であり、それが全てとも言える。

葬儀の最中、利益は考えずに動く事が殆どだ。 今回の葬儀には

後日談があって、息子達三人が事務所を訪ねてくれ、我々三人

の気持ちですと、十万円の寄付を差し出してくれました。

封筒に入っていたので金額は後から分ったのです。少し困りました。

気持ちは嬉しいのですが 長男はこれから子作り、次男は子供が

生まれたばかり、三男の嫁さんのお腹には子供がいます。

そこで、お茶を飲みに寄ってくれる人達に聞きます。

「この十万円はどうすれば良いと思う?」・・・つづく

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正月を挟むのが確実となり、我々は心穏やかではありません。

が、そのまま正月が過ぎ、十五日の小正月も過ぎた二四日夜、

逝去の一報が入ったのです。 車で五十分ほどの距離にある病院

までお迎えに行き、自宅に連れて帰ると息子達が部屋を片付けて

いました。 まだ片付かない部屋でしたが布団にご安置だけすると

火葬予約を一日先延ばしにしました。 あとで、搬送依頼した

葬儀社さんから 武井さん随分引っ張るねぇと言われましたが、

初めて自宅に来た日、できるだけゆっくりさせてあげたいと言って

いたのを思い出したからです。 ということは、、一日延びたので

ゆとりがある、、そこで、慌てなくて良いから 明日の夕方までに

片付けだけしておいてください。 火葬の予約はしたので 明日の

朝になったら お寺さんの都合だけは確認しておいて貰えますか?

あとは明日の夕方来てから全て行ないます。 と伝えると自宅を

後にしたのです。 僕らが居たら、いつまで経っても片付かないから

です。 この一部屋だけで全て行なうのですから、親戚の人達が

来るまでに、ある程度片付けておかないと うるさいだろうと考えての

言動でした。 翌日の午後三時、約束通り伺うと三兄弟が待って

いたので すぐに白幕張りから始めます。 三十分ほどで安置祭壇

まで全て完了。 お母さんの一言 「本当だ、白幕って凄いですね

部屋が広くなった感じだし充分ですね」 「でしょ? 台所も見え

ないしね」再度安置を確認すると、お父さんの死化粧です。

痩せこけて、体力の全てを使い切ってから逝去、 そんな印象を

受けます。化粧が終わった頃には家族全員が集まっていました。

うるさい親戚、くちは出すけど金出さずの親戚が居る時に言おうと

思っていたのですが、お父さんを見て、家族を見ていたら、僕のくち

がしゃべり出してしまいました。 「みんな良く病院に通い続けてくれ

ましたね。 それは、年末に次男と会った時に分りました。

きっと あの時、次男も不思議そうな顔をしていたので 何で分った

のか?って思ったんでしょ?」 そう言って次男を見ると コクッ。

とうなずく「それはね、最近我がままを言うようになって、母さんと

喧嘩してますって言ったでしょ。 それで、みんなが病院に通って

いるのが分ったんですよ。 人はね、遠慮をしてたら我がままは

言いません。 お父さんが我がままを言えるくらい、みんなが通った

という証拠のようなものです。 だから お父さんも頑張りました。

最長で三週間の宣告から、さらに一ヶ月生きて来られたのは、

家族みんなのお陰だと、お父さんは感謝してますよ」 涙声で語る

僕の目に入ったのは家族全員が僕の言葉にうなずく泣き顔、

でも後悔の顔ではありません。 化粧が済み、お茶を頂きながら、

うるさい親戚の話しを聞きます。 どんな性格で、どんな事を言う

人達なのかと尋ねると、今日の午前中に来たとの事、片付けの

最中だし、ご遺体は布団に寝ているだけだしで 「何処の葬儀屋

だい!」とまくし立てたようですが、前橋のNPOあんしんサポート

だと言うと 中の一人が 「あ、新聞で見た、困っている人やお金の

無い人達の為にちからになってくれるって書いてあった」と言った

途端、黙ったのだそうです。 笑えます。。でも、何となく親戚の

人物像が分ったので対処、対応は大丈夫でしょう。

翌日、午後三時から湯かん、納棺の儀を行ないましたが、午後

三時の設定は、食事の心配をしなくても良い時間帯だからです。

私服で集まってくれた親戚が座ると始まりです。 始めに簡単な

挨拶と自己紹介をした時、一人の女性が言います「すみません

聞こえないんですけど」ムカッ、、僕の怒りの触手に触れる発言を

しちゃいました。 狭い部屋で誰も話しをしていません。聞えない

はずはありません。 が僕のくちから出るのは「はい 分りました」と

先ほどより大きな声です。いつものように湯かん、納棺の儀を始め

ます。 ひとつだけ違うのは、親戚が文句を言いそうなところは、

全て防御の杭を打ちながら話を進めます。聞いていた息子達

兄弟には、それが分ったようで、昨日、僕に話をした 何か言われ

そうで不安な部分を、前もって防御してくれているさすがぁ! と

思ったそうです。 その後、この日だけでなく、葬儀終了まで何も

言わなくなりましたので、ご家族にとっては余計な神経を使わずに

過ごせてる結果となり良かったです。 湯かん、納棺の儀が終了

すると、千明が綿衣裳、法衣姿を作ります。 初めて見る家族、

親族、みんなに見られて緊張しながらも 綺麗な綿衣裳を作って

くれました。 法衣姿の故人を見て感動してくれたのが、故人の

義母に当たる お母さんの母親でした。「凄いねぇ、、綺麗だねぇ、

私の時もこれにしとくれ」作った千明もニコニコしています。

和んだ空気の中で終了しました。 さて、ここで質問です。

僕はなぜ親戚のくちを塞ぐ言動をとったと思いますか? ・・・つづく

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それは四十年前の話、中学三年生の時、霧雨の降る夜、午前

零時を過ぎた途端、店の周りに駐車していた問屋さん達の車から

一斉に人が飛び出し、店のシャッターが開けられ、我先にと店に

ある物全てを持ち出すのです。 それを、雨の中で見ていた僕は

「これが倒産なのか」と呆然と眺める。 何でみんな夜中まで待って

いたのか、明日だって良いだろうにと思いましたが、 その疑問の

答えが翌日分ります。 背広を着た人達が来て紅い紙に金額を

書いて 片っ端から貼って行きます。 差押さえです。 これがある

から、その前に運び出したと分りました。 その後は年寄り二人と、

母親姉妹二人に分れて住む事になるのですが、年寄りっ子の

僕は、結局お爺ちゃん、お婆ちゃんと一緒に住むことになるので、

両親と過ごしたのは この時までです。 そこからの生活は、生活

そのものより、人の目のほうが遥かにうっとおしい日々です。

高校に入ってからは、バイトをしないと何も買えませんが 当時、

バイトをするには学校の許可証が必要なのと、許可されるのは

学校で授業の無い時間帯で、新聞配達か牛乳配りがせいぜい

です。 それではお金にならないので、内緒でキャバレーで オード

ブルを作ったり、スルメを焼いたりと フロアに出ないで済むバイトで

稼いでいました。 その生活自体は 別段どうって事もなく過ごし

ましたが、いつまでも、、いつまでも尾を引いたのが、対親戚だった

のです。 親戚同士が集まるのは仏事が圧倒的で お酒が入り

ます。 すると、毎回、父親非難をする親戚、しつこい!と、切れ

そうになるのを我慢するだけでした。 その状況は十年以上も続き

ましたが、それでも我慢して出席し続けたのは、これで付き合いが

無くなったら、僕に子供ができた時、、その子達には親戚が居なく

なると考えたからでした。 今はその世代もこの世を去り、そんな話

さえ出ませんが、やはり 付き合いは最低限になっている自分が

います。 この家族はきっと、僕と似たような経験をしているであろう

事は、話の様子から分りました。

ご自宅をあとにして事務所に走る頃は日付も変わっていましたが、

車中、「俺達、何をしに来たのかね、、葬儀の相談じゃなくて、

人生相談か?」と思いつつも、心はどこか晴々としていました。

翌日 約束の図面を書いて持って行くと、昨日と違って歓迎ムード

です。 病院にもみんなで行ったようで、家族の顔は昨日より明るく

なっていました。 お母さんはアルバムを持って お父さんの所へ行き

思い出話しをしたようです。実に素直な人です。本日も昨日同様

人生相談二日目の夜でした。

その後、二度ほど息子さんが事務所を訪ねてくれた時、葬儀の

全てをお任せしたいと決まったのです。 病院から家族が呼ばれた

時は 連絡をくださいと言ってから、、最長の三週間も過ぎ、年の

瀬を迎えようとしていた時、あんしんサポートは、ある葬儀をして

いました。 その葬儀で使用する門標を取りに出かけた先で偶然

次男と会ったのです。 「お、暫く!」 そう言う僕に笑顔で会釈

しながら「どうも」 「ところで、お父さん元気になった?」 「きっと

身体は、悪くなっているんでしょうが、最近は我がまま言うように

なって 母さんと喧嘩してますよ」それを聞いた僕は、家族が毎日の

ように病院に行っているのが分りました。 本書を読む皆さんにも

分りましたか? 「みんな毎日病院に通ってるんだね。多少我が

ままになっても良いから そのまま元気になるまで通い続けてって

家族に伝えて」 「は、はい・・」何で分ったんだろうとでも思ったの

でしょう。 次男は少し不思議そうな顔はしましたが、すぐに笑顔で

暫し雑談をして別れたのです。・・・つづく

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