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話は三年半前にさかのぼり、残暑厳しい九月のある日、仕事が
終わり自宅に戻ると、ベットのサイドテーブルに一通の封書がおいて
ある。ん? なんだ? 差出人は八王子裁判所と書いてある。
えっ! 俺、、なにかしたかな? 警察や、裁判所と聞いただけで
ドキッ、、特別何かをした訳ではないのだが、何かしたか? と考える
自分に 少し呆れてフッと笑いが込み上げる。開封して内容確認
すると、僕が十五才で生き別れた父親が逝去し、遺言書があるの
で開封に立ち会うか、委任状を記入して返信するようにと書かれて
いた。 「八王子に住んでたのかぁ」三十八年ぶりに知った父親の
消息であった。生き別れの原因は稼業の倒産である。 当時、スー
パーの息子だった僕の部屋に突然現れた父親は、優しい笑顔で
「暫くぶりだけど元気か?」そう言って微笑んで「お前は男なんだから
何があっても強く生きて行くんだよ」こんな言葉を掛けられたのです。
会社が倒産するとは知らない僕は「はぃはぃ・・分ったよ」軽い返事
を返す、父親は「うん」と微笑んで部屋をあとにしたのですが、それが
最後でした。 その翌日には倒産、生活が一変して 世間の目が
気になる生活や今までのような贅沢も出来なくなりましたが、不思
議と父親に対し恨み辛みを感じた事はありませんでした。 当時三
十六才だった父親は、怒ると恐いけど子煩悩な僕にとっては自慢の
父親だったからなのか、なぜかは自分でもわかりません。 そんな
父親の事が気になり、十年ほど前に探そうと思った事がありました。
でも、よく考えると、父親が僕を探すのは簡単なはずです。 なのに
探さないのは、探して欲しくない何かがあるから?今となっては確認
もできませんが そう考えると探せなかったのです。 懐かしい顔が浮
かびますが、裁判所の指定日時は仕事の都合で行けそうにありま
せん。すぐに妹に電話をすると、彼女の家にも、同じ封書が届いて
いるようで、すぐに話は通じました。「お前行けるか?」そう聞く僕に、
すぐさま「うん 行こうと思ってる」との返答で、全てを妹に任せること
になったのです。 指定日の翌日、早速妹に電話をすると「行って
来たけど遺言書の内容はどうっては事ないよ」 「そっか、で、一人
で暮らしていたのか?」「ううん、一緒にいたらしい女の人が来てた」
「だろうな三十代だもん当然と言えば当然だよ。 で、子供は居た
のか?」「ううん 居ないみたいだよ」 「えっ・・」 「お前その女性の
連絡先聞いたか?」 「うん じゃ言うよ」 相手の連絡先電話を
聞いたのは亡くなった父親は七十四才のはず、って事は七十才を
過ぎたお婆さんが、一人残された訳で、子供が居てくれたら心配要
らないけど、居ないとしたら、とにかく一度 会ってみなきゃと電話をし
一度会いたいのですがと、日時を決め、その後、引っ越したという
神奈川に向ったのです。七十過ぎのお婆さん一人で どうやって生
きていくのか、、かと言ってこれから一緒に住むのも難しい、 まったく
何で子供作っておかねぇんだよ、こんな事を考えながら待ち合わせの
駅に到着、どんなお婆さんなんだろ? と駅前を探しますが、それら
しき老人の姿は見えません。 まだ到着してないようだと少し待つ
姿勢をとった途端、電話が鳴る、お、中々良いタイミングだ。電話の
向こうから「到着ですね。すぐに行きます」 「はぁ?何で到着したの
分るんだ?」車の助手席側に立っている女性が声を掛けてきました。
「武井さんですか?」・・・つづく
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五万円火葬支援パック完成
平成二十三年三月一日、三年前に第一の目標として掲げた、
国民健康保険加入者が死亡時に「埋葬料」の名目で支給される
「五万円」だけで可能な火葬支援パックが実施となりました。
五万円火葬支援パックの内容は次の通りです。
・支援地域内の病院に、専用車両で、指定時間に、ご遺体を
お迎えにあがります
・搬送用防水シートを使用し、ご自宅(安置所)に搬送(近くに
思い出の地があれば通過可)
・自宅の布団にご安置し、ドライアイス六本で腐敗遅延処置
・末期の水をとり、線香具一式を揃え、線香をあげて頂きます
・死亡診断書の記入をし、居住地の役所に死亡届出代行
・打合せ終了後、布棺に納棺
・火葬予約当日、霊柩車にて火葬場に搬送
・骨壷に拾骨して火葬葬儀終了
また火葬支援パックは、家族の思いや予算により、旅支度、生花、
祭壇等、十数項目の追加が可能になっている点が最大のポイント
であり、最も神経を使った部分とも言えます。
国保を対象としているのは、多くの方は現役を離れており、社会
保険から国保に変更されているからです。 五万円火葬支援パック
の登場で、極端な言い方をすれば、所持金がゼロだとしても火葬
はできる訳ですから お年寄りのくちから出る「死ぬ前にいくら残して
おけば・・・」この必要は無くなるのです。金は生きている時に使うも
のであり、死ぬ為に貯めるものでない。少額年金で暮らすお年寄り
には、声を大にして言いたいし もう安心だと伝えたい。
でも、豪華な高額葬儀を否定している訳ではない。 お金のある人
豪華な葬儀をしたい人は遠慮せずにして欲しい。ただ、世の中に
はしたくても出来ない人達がいくらでも居る事、葬儀自体に費用を
掛けたくないと考える人達も沢山いる訳で、そのような人達のちから
に成れたら、それで充分であり、それがもっとも大きな、そして大切な
目的なのです。目標設定から三年後に実現した火葬支援パックで
すが、当時は誰もが無理だと判断をした事であり、僕自身でさえも
実現するかどうかさえ分らない現実だったのに、当の本人はできる事
しか考えないから出来たとも言えましょう。なぜ、できる事だけを考え
たか、、それは 話を聞いた百人が百人、誰もが賛同する内容だっ
た事、そして、百人が百人、でも、無理でしょ?できるはずが無いと
考える事だったからです。大変かもしれないが、完成したら一気に
広がる可能性大、なら苦労する価値は充分あると考えたのですが
そのきっかけは突然来たのです。・・・つづく
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まぁ活気の無い甘っちょろい話の会議であった。 暫く退屈な会議を
聞いていた僕に、社長が言う「武井さん聞いてて如何ですか?
良かったら感じたまま、思うままを聞かせてくれませんか?」「本当に
思ったままで良いですか?」「はい、結構です。どんな苦言でも構い
ません」 「なら言わせて貰いますが、一言で言うなら 甘ったれた
事を平然として言う業界だとビックリしたのが本音です。 皆さんは
売れない理由を、あの美容室の先生は駄目だ、俺がこんなに
話しをしてるのに買わねぇもんな、こんな理屈が平然と言える事
自体、変だと気づくべきだと思う」と言ったのです。自分が相手を
買う気持ちにさせられないだけで、買わない客が悪いなんてのは
どんな業界に行っても成立しない理論だからです。 その会議の
最後に「武井さん 良かったら、この仕事をしてみませんか?」
そう言われ、数日考えたのち、「早ければ午後三時に終わる仕事
どう見てても楽な仕事だし、給料も貰えるし、勉強もできるなら
一石二鳥。これが美容業界に、入るきっかけなのですが、現実は
全く違いました。楽なのは僕が運転をした彼だけで、それから数年
間は自宅へ戻るのが早くて午前0時、遅ければ午前四時、平均
でも午前二時という生活が続くのですが、スーパー業界から移った
僕にとって、十年は後方を走っているような業界への対応ですから
楽でした。その後、本部長となった僕と社長の意見が衝突、僕は
ずっと成長し続ける社会など有り得ない、こけた時でも対応できる
体質と展開方法を今のうちに始めるべきと提唱しますが、土地が
絶対下がらないように、日本経済はずっと成長すると言う社長に
限界を感じ退社。 お世話になった会社と衝突しないよう理容室
だけを相手に商売している同業者に移ります。そこで、経営指導を
する営業として、役員として奮闘していた時、ある晩、お腹の激痛
により、一ヶ月の入院生活を送るのです。実は入院直前、ある
美容室経営者が僕を代表として三百万円で有限会社を設立し
た後で、僕に設立の旨を伝えていたのです。「えっ!俺に何の相談
もなく作ったの?そんなのあり?」そういう僕に 「だって、いつか一緒
に仕事したいねって言ったら そうですねって言ったじゃん」と言われ
愕然、、少し考えさせてくれと言ってあったのです。入院し翌日まで
は両腕に点滴で動けませんでしたが 痛みが引くと暇で暇で退屈
です。そこで、担当の医師に外出許可を貰い午後九時の消灯
までに帰る条件で入院四日目から仕事をしていました。
その仕事とは、僕に内緒で設立した会社の仕事です。最終的に
これも人生と役員を務めた社を一年掛けて退社、資本金七百万
円を追加して株式に変更し名実ともに社長となったのです。その
会社では美容室の他、ホテルで婚礼着付、レンタル衣裳、写真、
など五年間で五ヶ所の営業拠点作りをしましたが、共同経営者と
意見が合わず分裂となります。かたや美容室に生まれた人間と
サラリーマン経験しかない僕には決定的な違いがあったのです。
自分達以外は従業員だと考え、自分達の意を最優先する経営、
僕は自分達だけで出来ない以上、一緒に働くのは仲間であり、
仲間なのだから現場の意見も聞くべし、じゃないと働く気になれ
ない。出来ればいつか自分も経営者として、或いは経営者の仲間
入りができる可能性がある会社であるべき。こんな違いでした。
どちらが正しいという事より、根本的な人間性の違いなのでしょう。
分散するには大きなリスク付きで、二カ所の営業所と全借金を
背負う事になったのですが、ともに頑張ってくれた仲間達のお陰で
数年後には返済完了。 その後、ホテル業界での婚礼は衰退し、
八年前に美容室は大型化するだろうと予測、借金をして開業、
今に至るのですが婚礼業界の仕事をしている時、何度も言われ
たのが、葬儀の仕事もすれば? だったのです。婚礼と葬儀、
両極のような印象を受けますが、実は「料理」「生花」「ギフト」など
殆どの業者さんは重複するのです。当然のように原価率だって
同様だからなのでしょう。ところが、遺体を見たくない僕は「嫌だ、
葬儀の仕事だけは、絶対にしない」と即答していました。が、今に
なって思うと何であんなに忌み嫌っていたのか、公然と言い続けた
のか、、よく分りません。まぁ誰だって遺体なんて見たくないでしょ?
自分の家族だって恐いような気がするのに全く知らない人じゃね、、
でも、不思議でしょ? 皆さんの中で葬儀の仕事を勧められた人
って どれだけ居ますか? ただ、絶対嫌だと言っている僕の心の
中には性格的には合ってるかもなぁ、、と思えるからこその全面
否定だったのかもしれません。 そんな時代から十年の時が流れ、
葬儀の仕事を自分の手で行い、精一杯の結果を感謝されると
「良かった」と喜びを感じられる自分が居て、今では生き甲斐、
遣り甲斐、人生の最終目標として日々、前向きに向上する根源
となっている葬儀という仕事、、その仕事を始めるきっかけには四十
年前に生き別れた父親が、 お前の人生にとって最後となる大仕
事だ、頑張ってみろ!とでも言いながら 僕の進むべき道、僕本来
の天職へと導いてくれたような気がします。
今、僕の中には四段階ほど先の設計までありますが、どう考えても
やりきれないほどの仕事を生み出せる仕事や仲間に巡り会えた
僕は、しあわせな人生なんだと分り始めたところです。
読まれる皆さんに、先にお伝えしておきますが、本書は、普段僕が
話すままに近い口語調で書いていますし、僕の住む群馬県前橋市を
中心に使われている言い回しをそのままに書いています。例えば
「何かしたの?」という言葉は「何かやったん?」こんな調子である。
慣れない人達は読み始めは非常に読み難いでしょうが、いくつかの
理由があっての事です。最大の理由は、臨場感や、その言葉をくちに
した人の心情が伝わり易くなること。それから、僕の書く文字が、
読まれた皆さんの頭で、その場面、場面の静止画や動画になって
くれたなら より理解して頂けるのは確かですから、少しでも絵に
なって欲しいと願ってでもあります。 それとですね、、パソコンでの
メールや、ブログを書いているうちに、いつの間にか出来上がって
いた武井調らしき書き方もあるようですが、書いている本人は良く
分りません。全国的には非常に認知度の低い群馬県が、どんな
言葉を使っているのか、これが群馬弁か、など本書の内容とは
違った意味でも楽しんで頂けたら幸いです。
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