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今朝、出掛ける直前うちの奥さんが 隣の人倒れてないよねと言った。
はっ? どいうこと?? だってずっと電気が点かないし自動車はある
のにと言う、、改めて2階の窓を見ると 少し網戸になって開いている。
確かに、、と思って見ていたら だけど昨日、うちに回覧板が入ってた
から 隣から回って来たんだと思うけど、、、と聞いて ちと安心したが
一人住まいの人達は年令に関係なく もしも何かあったらどうする?
血管や心臓に何か起きたら、、階段から間違って落ちたら、、玄関で
足を滑らせて転んで頭を打ったら、、そんな風に考えると実に怖い。。
年間3万人以上居る孤独死の多くは こんな事故から起きているのが
大半だろう。。と考えながら出勤する車の中で ふと、、ある話が頭を
よぎった、それは、千明の母の姉である叔母が 渋川に住んでいる
のですが 娘は車で数分の距離居るものの 長男は都内に住んでて
普段は老人夫婦だけの生活なんだそうです。 でも都内在住の長男
から、毎日一本の電話が入り、、元気な声だけ聞けば すぐに電話を
切るのだという話を思い出し でもこれで良い、、これが良いと思った。
仮に体調の悪い時なら 電話を切っってすぐに姉さんの所へ電話して
確認に行って貰えば良いし 最悪でも一日以上の時間は空かない。
それから 最近の老人用携帯電話には もしもの緊急時そのボタンを
押せば登録者へ緊急発信できる物もある。若干の費用は掛かるけど
日頃は緊急ボタンの付いた電話を首から下げて歩くと良いと思える。
それと、毎日定期連絡を取り合う人を持つこと、、離れて住む家族や
いつもおしゃべりする老人の友達同士でも 誰でも良い一日一回の
電話「元気?」「うん あなたは?」「元気だよ、、じゃあまた明日」
たったこれだけの会話があれば、、きっと減らせる孤独死はある。。
町内の老人会みたいな 小さな単位での「お元気コール」連絡網が
あったら 日々の確認だけじゃなく もしもの時にもすぐに駆けつけて
貰えると思うんだけど、、、そう考えると 僕が子供の頃のような近所
付き合い、、「ちょっとお醤油貸してくれる?」「あいよ~」と気軽に行っ
たり来たりし
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た関係は 無くすべきでは無かったのかもね。・・・つづく
9月の日曜日、初めて中学の同窓会が開かれると往復ハガキで出欠
確認が来たのに その日は法要が数件入っており 一軒は沼田地区
だから車で1時間半の距離だし 翌日が祝日の為か 午後からの法要
なので残念ながら出席できないのです。 数年前に小学校の同窓会が
卒業から40年の時を経て 初めて行われたのですが 70数名だけの
参加で ちょっと寂しい気がしました。 今回は中学で卒業した同級生
400名以上の中で どれだけ参加するか楽しみでしたが この仕事を
している間は いつ何が起こるか分からないので 遠くにも行けません
それにしても 人の記憶というか、、僕の記憶力が乏しいのか小中学
9年間も同じ学校に通った人達なのに 40年後に会うと正直 八割は
誰だか分からない現実でした。 お互いが分からなきゃどうって事無い
のですが やたら親しそうに話しかけてくれてるのに、誰か分からない
すこし経てば思い出すかもと 暫く話はするがちっとも思い出せない。。
話の内容より 誰?誰なの?そればかりが頭の中で渦巻いている。。
それが何人も続く、懐かしさより 解けない難問を解けと言われている
ようで 拷問のような時間でもありました。 その結果分かったことは、
数分間で分からない人は 最後まで分からないのだということでした。
だったら 出会った時に「ごめん 誰だっけ?」って聞きゃ良かった。。
さんざん話をした後では とても聞けるもんじゃない。
それと、、薄々は感じてたけど 思ってる以上に年を取ったんだと実感
させられる場でもある。 ある老人?と思える男性が立っていたんだが
友人に「あれ何ていう名前の先生?」って真顔で聞いたら 相手曰く、、
「ガハハ あれ同級生だし 恩師は誰も生きてねぇよ」って言われた。。
ん?同級生?? 俺らってあんなにジジイなの?、、、そうかもなぁ、、
と思って周囲を見回すと、どうみてもお婆ちゃんと表現したほうが適切
だと思える女性も居るのです。。 まぁね、、僕自身も現実には爺ちゃん
と呼ぶだろう孫が居るんだから お婆ちゃんだって当然なのですが、、、
いつまでも若いと思っていた自分に 苦笑いしか出ませんでした。
良く小学校の同窓会は 子供の頃に戻れるから みんな素の自分で
話が出来て良いよって聞いてたけど そんな印象は無かった。。。
相手が誰なのか必死で思い出そうとしたり 誰かが僕とのエピソードを
語ってくれてるのに ちっとも思い出せないし、、なんか俺って嫌な奴だ
なぁ、、とか、失礼な奴だなぁ、、と自己嫌悪にも近い感覚もあったけど
きっと もっと小さな学校で ずっと付き合って来た人同士ならば 多分
俺もみんなの顔がすぐに分かったんだろうな、、と、自分をなだめる事で
無理やり自分に納得させたのでした。 ・・・づづく
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先日法要の相談に来られた方と、近くを通ったからと寄ってくれた方
などが一緒になり 軽い井戸端会議のようなワイワイと雑談会になり
その中で ある話題が出た、、過去に何百回と耳にしている言葉だが
何度聞いても 僕には理解も納得も出来ない、、なのに多くの人達が
我が家はそうだと言うから不思議だ。。 その言葉とは「外面が良い」
これです。。そとづらが良いってのは 近所や友人や知らない人達の
前では良い格好をしたり 仲良く見せたり 優しく振舞うのだと言うが、
何でだろ? 何の意味があるんだろ? 何回聞いてもそうとしか思え
ないのです。 もし、自分もそうだ、、うちの旦那もなんて思った人達は
良く考えてみれば 訳わかんねぇ・・って思うんじゃないかな。
これが逆で内面が良いって言われたなら 納得も理解もするんだけど
理由は簡単、家族や配偶者は いつも顔を合せる人達だったり一緒に
生活している人なんだから 喧嘩したり やたら偉そうにしたり言ったり
無用に頑固だったり 偏屈だったら 誰だって一緒に居るのが苦痛に
なって当然だから ほんの少し我慢したり 頭にきて言いたい事があっ
ても ちょっと間をおいてから 冷静になってから言うか 言わないかを
考えたり ちょっとだけ思いやりや 優しさを見せれば 家族間の中にも
温もりのある関係が作れるからの、うちづらの良さってことになるでしょ。
だけど 普段の生活には全く関係の無い 店員さんや どこかで初めて
会った人を始め、、近所の人、、子供の親の前なんて話になると ほぼ
完璧に理解の範囲を超えてしまう。ま、会社の同僚や上司や部下なら
生活の一部を共有する人達ですから 充分理解できますが、、
配偶者や子供や部下の前で無駄にえばっている方は、是非一考されて
みたほうが良いと思う。 それとさ、、僕らのような仕事をしていると人生
最後は夫婦だけ、、なんて事は当たり前のようにあるし 夫婦の片方が
逝ったあとは 一人での生活が続くのも いくらでも見ている訳です。
そうすると、せめて配偶者や家族のような近い人達くらいは お互いが
相手に対し 少しだけ思いやりを持つことで 寂しい時間が減らせるかも
なんて思いながら、、井戸端会議に参加していた僕でした。・・・つづく
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