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「お別れの手紙」 今では、あんしんサポートが施行する葬儀では
当たり前のようになり「親族代表挨拶」の前に 家族誰かが読む
故人への手紙ですが これはある偶然から生まれたものでした。
http://ansin-sien.net/927000.html
このお葬儀でしたが、亡くなる前日、ときたま病院に行く事になり
病院のロビーで待っていた時、喪主となる長男が 見舞い客への
対応をしている30分程の時間 時たま持っていた写真アルバムを
1階ロビーで眺めていたところ、、一枚の婚礼写真を見つけました。
良く見ると花嫁は母親か?と感じられる程度には似ているのです。
そう言えば、、お母さんの存在を伺った事が無いのでずか、色々な
家庭事情もあるでしょうから 無闇には聞けないしと思いつつ 暫く
すると皆さん病室から戻ってきました。 病院1階にある図書室の
ような場所へ 僕を含めて5人が座り話をすると様々な話題の中
でも母親の事に触れられる話題になったので 何となく聞いてみた
ところ、長男を出産後、2ヶ月で亡くなられたと言い、、続けざまに
その後の父親のこと、、父の生き方など、 世間から色々言われた
のでしょう。誤解や理解して貰えなかった無念さなどを 僕に対し
一気に語ったのです。 元々そんなに口数の多い方ではないのに
これだけ語るのは 子供の頃から 心に溜まったものを出せる場が
今、、この時だったのだろう事は推察できました。
病院からの帰り、寝る前、、なんとなくその事が頭をよぎりましたが
翌日の朝にシャワーを浴びていても やはり気になるのです。
そこで事務所に入ると すぐに僕の感じたままを書くと一通の手紙
のような物が出来上がりました。 何となく、一枚印刷をしカバンに
入れた頃、昨日見舞った その方の父親が亡くなった一報が入り
そのまま葬儀となったのですが 安置を済ませ人が途絶えた頃、、
今朝書いた手紙を喪主となる長男に見せたのです。。 すると
読んだ彼の第一声は「俺の気持ちと全く同じで その通りです」と
言ったのですが 後日、彼が書いていた手紙らしきものを見せられ
ビックリしました。 言葉は違いますが内容は彼の言う通りで 僕の
書いた手紙と全く同じなのです。 内容は簡単に言うと、 母親を
病気で亡くした父親は 彼の将来を心配して 男手ひとつで彼を
育てた事、他の人に母親と同じ経験をさせたくないと 地域病院
設立を目指して奔走した父、、、そして、その父親に対し世間は
冷たい言葉を浴びせ、、彼自身も他人の目を気にして黙ってきた
人生ではあるが、、心の中では父を誇りに思ってきた事等を書いた
手紙です。。彼の心根を知り、、ならば、父親の人生最後の時に
分って貰えようが、、貰えまいが、喪主である長男のくちから伝える
だけは伝えようと 葬儀の中で読んでもらったのがきっかけです。
彼が手紙を読み出すと、当時を知る叔父・叔母 からすすり泣く
声が聞こえ始め、、読み進めると嗚咽に変わっていくほど 会場は
悲しみの涙でもあり、、故人や長男の心を知った感動でもある涙
そして、、涙となったのです。 葬儀の数日後、その葬儀で仕事を
していた業者さんから「俺も相当数の葬儀は見ているから 滅多な
事では涙しないけど あれは駄目だったね」と言われました。
僕の中では涙うんぬんよりも 故人や喪主の心の叫びが伝えられ
そのお役に立てた事が嬉しかった。。。そんな葬儀であり、、これが
初めての「お別れの手紙」でした。 ・・・つづく
PS. 「お別れの手紙」掲載ページ。。縦書き文章です
http://ansin-sien.net/1114745.html
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慌しく通り過ぎる 嵐のような葬儀の数日の中に ポカンと空いた
一日が過ぎた翌日、 通夜の時間までには「故人を偲ぶ」の用紙
「お別れの手紙」どちらの原案も書かなければなりませんし、昨日
聞いた話で故人は「おまんじゅう」と「バナナ」が好きだった事も分り
ましたので スーパーに行くのと草むしりに使う日除け帽子? とでも
言うのでしょうか、ゴルフ場のキャディーさんが被っているようなもの
これらを買いに行ってきました。 本ブログを初めから ずっと続けて
読んでおられる方は分るでしょうが「故人を偲ぶ」「お別れの手紙」
これらの生まれたきっかけと どんな物かを分らない方の為に 一応
説明をさせて頂きます。 まず「故人を偲ぶ」ですが、A4サイズの
紙に「○○お婆ちゃんを偲ぶ」といった感じのタイトル書きで始まる
数百字の簡単な文章です。 あんしんサポート設立前から葬儀
依頼が入った頃、、極々普通に葬儀が終了し、火葬炉の蓋が
閉められると ご親族の方々は 火葬の90分ほどを葬家専用の
待合室で過ごす(あんしんサポートではお清めを行ないます)の
ですが 法宴が始まって喪主の挨拶・献杯の挨拶と神妙に話を
聞いていた親族が 献杯が済むと同時に世間話しを始める。。。
滅多に会えない親戚や従兄弟だから それも当然だろうと思える
のですが、集まった目的は葬儀なのですから 1時間以上はある
お清めのうち、、ほんの5分だけでも故人の話題に触れてくれたら
故人の供養にもなるし、、家族としたら嬉しいだろうなぁ、、これが
「故人を偲ぶ」用紙を清め料理の下に置く きっかけでした。
そのせいか最近行なうお葬儀では、皆さん「故人を偲ぶ」を読む
ことから始まるので 故人の話題に触れて貰えるようです。
初めて「故人を偲ぶ」を書いたのは下記の葬儀でした。
http://ansin-sien.net/986010.html
そして、もうひとつ、、「お別れの手紙」が生まれたきっかけの葬儀
明日はその辺を書いてみたいと思います。 ・・・つづく
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徹夜明けの太陽は眩しくて、身体はだるくて、目を閉じれば即効
寝られる状態のまま、花屋さん、返礼品屋さんにFAXを出した後
清め料理の下に置く「故人を偲ぶ」を書こうと思ってPCに向かって
みると、ん?、、故人の情報、、なんも分んねぇ、書けねぇ、(ーー;)
つーことは「お別れの手紙」なんて、書ける訳ねぇ、、事に気付いた
途端、、椅子に座ったまま、、いつのまにか夢の中にいたのです。
あっ!、、ん?、、気がつくと20分ほど眠ったようです。 ねぶい、、
業者さんには全て連絡をしたので 一旦自宅に戻ってシャワーを
浴びてから回転灯篭2種類、砂糖盛など供物類を持ってから、
葬家に向かうと、施主花が届いていたのですぐに設営に入ります。
故人の情報を得ようと、ご家族に何となく聞いてみますが、中々
情報が得られません。。。親族の方々や友人知人、隣保の方と
続けざまに人が来るので 我々は台所にあるテーブルの椅子に
腰掛けて、ご家族と話をすることにしました。 お茶を飲みながら
世間話に近い話をしていると 故人の義娘さんがなにげなく 窓の
外を見ながら「お婆ちゃんが居なくなると雑草が生えちゃうなぁ」と
くちにしました。「ん? 雑草って、、草むしりが得意だったの?」と
聞く僕に、、「うん 一日中でもむしっいてた」というのです。
お、これ、使えそう、何とか情報がひとつ入ったので 眠気覚ましも
兼ねて 歩いても数分のところにある葬家の墓所に行き 墓石を
確認して帰ったのです。 今日のブログのように、、何となく、、、
けだるく過ぎた一日でもあり、考えようによっては事前相談と準備
どちらもしっかり行なっていたからこその「ゆ・と・り」とも言える日、、
そして、、葬儀を二日後に控えた一日が過ぎたのです。・・つづく
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